事業計画の要諦(かなめ)売上げポテンシャルをつかむ


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補足セクション

 水田用除草剤 "ロンダックス"

 私は米国化学会社デュポン社に在籍中大変な幸運に恵まれた。通常本社である米国で開発の大部分がなされ、それが世界各国の組織で国情に合った開発が行われるのが仕事の流れであった。しかし、農薬の中でも水田に使われる除草剤に関しては日本が世界の売上の60%を占め、利益については80%を占める最重要市場であったために、日本で開発が成功しなければ事業化はできないという状況であった。私が研究開発部長の職にあった時水田除草剤を事業化する偶然ともいうべきタイミングに当たったため、研究から事業化までの一連の流れの指揮を取るという機会に遭遇することになった。研究開発は当初私を入れても3人という少人数からスタートしたが、多くのプロジェクトはそんな具合であろう。この開発は私が正にテクノロジー・マネージャーとしての役割と力を思うままに発揮することができた最初の経験であった。当時テクノロジー・マネージャーという言葉がなかったが、数年後ドラッカー教授のその定義に出会ってはじめて、自分自身の思考方法と行動様式がその定義に属するものと認識したのである。
 
  専門分野ごとに分化されている組織ではテクノロジー・マネージャーは生きにくい。研究、特許、毒性研究、開発戦略、営業戦略等々新事業に関するすべての分野を横断的にしかもそれぞれのプロフェッショナルと渡り合える知識と論理を持っていなければならない上に素人が口を出すなという専門家の壁もあるからである。
  私の知ったかぶり?と前に向かう姿勢を認める米国企業という風土もあったろう。また、事業成功を最優先とする私自身の態度と論理がプロフェッショナルを動かす原動力にもなったと思うが、その点日本の組織では評論家的プロフェッショナルが社内のあちこちにいる上にすべてを合議でやらなければ気がすまない組織至上主義の風土ではテクノロジー・マネージャーの資質や能力も発揮されにくいのではないかと思う。
  いずれにしても当時化合物発明から事業化まで平均11年とも12年とも言われていた開発期間をロンダックスは9年で事業化に漕ぎつけた。わが国で最短に近い効率的な事業化を行い、年間売り上げ国内で200億円を超し、世界で250億円という大成功になったのである。私はリードしたがもちろんひとりでやったわけではない。米国チームを含む研究者や同僚のチームワークの所産である。駄目かと思って落胆することや希望に燃えるドラマの連続である。NHKのプロジェクトXはあまりにきれいにドラマチックに描かれているが、あのようなドラマはどんな開発にでもある。テクノロジー・マネージャーの心の内には期待と不安が入り混じり、ひとつひとつの事象に一喜一憂し、投資金額の大きさに押しつぶされそうになる。これを支えるのは、オーソドックスに事象を分析し、確率を信じ、不確定要素が表出した場合の影響を測りその対応策をあらかじめ考えておくという普通のことなのである。
  私の造語であるメンタル・パス(Mental Path)とはオーソドックスで自然な思考の流れを意味する。通常使うメンタル・プロセス(Mental Process)は何か思考自体を加工するというかこう考えなければならないというスタンダードみたいなものに思考を合わせるというニュアンスを感じてしまう。私は期待に燃えたり、不安に思ったりすることも含めて普通の人が普通に考える思考の流れということを意味する言葉としてメンタル・パスという言葉を用いる。
 
  本セミナーの原型はロンダックスの事業開発時に作り上げられたものと言える。もっと遡れば、私が大学を卒業して入社した会社がちょうどQCのデミング賞に挑戦していた時であろう。当時QCは製造部門の品質管理手法であったが、私はマーケティング部門にいたので、その後のTQCのようなものを独自でやったことになる。そのメンタル・パスは基本的に同じものであったように思う。それを明確に意識したのがロンダックス事業開発であったということになる。したがって、ロンダックスの開発に関する記述でも決して後で都合の良い理論付けを行っていない。開発過程で考えたことをそのまま記録したものである。誰かが開発したものから共通事象を引き出してまとめ、論理化する書物はたくさんある。
  本セミナーは、すべて私が深く携わったケースの中で事業開発メンタル・パスにしたがって行ってきた情報収集、分析、分析結果の選択と決断(将来の予測)が数年後にどのような形になって現れたかを(予測の結果)対比して検証し、メンタル・パスと手法の正しさ確認してきたものである。この点で、あまり類のないものではないかと思う。もちろん、不備な点もあると思う。育成するのが大変といわれているテクノロジー・マネージャーであるが、ここでいうメンタル・パスが明らかになれば育成方法はあると考える。私よりもはるかに優秀なテクノロジー・マネージャーはいるはずなので、今後そのような方々とメンタル・パスの比較検討を行うことで、本理論と手法をもっともっと使いやすいものにしていきたいと望んでいる。
  本論に戻るが、ロンダックスの開発から、以下の項目を本セミナーの参照項目として参照する。
  未出版原著の抜粋のためセミナーの論調とはことなるのでお許しいただきたいと思います。


  1. 事業開発における技術評価
  2. 競合意識がもたらす活動
  3. 戦略的特許
  4. 価格設定

  そのうち第1項のみを"わが国の技術評価の課題"からのリンクとして紹介します。
  その他の項目は、セミナー本体の各ユニットの関連リンクとして参照されます


  1. 事業開発における技術評価
     
      筆者は、技術のバックグラウンドを持ってはいるが、事業の開発、つまりビジネス側の経験が長い。そこでの事業化へのプロセスを検証すれば、技術評価がどのように行われるものかがわかる。筆者が責任者として水田の除草剤を事業化した例を説明する。化合物の合成から事業化までのフローは以下のとおりである。
      筆者が勤めていた化学会社デュポンは、米国デラウェアー州に本社と研究所がある。筆者は当時研究開発部長で、日本にあった生物関係のラボの責任者も兼ねていた。化合物が事業化開発に足るものかどうかを評価する早い段階は第1次から第3次のスクリーニングによる。
     
      第1次スクリーニングは化合物の生物活性がどのようなものかを幅広く見るスクリーニング工程で、除草剤に使えるのか殺虫剤なのか殺菌剤としての用途がありそうか、あるいはまったく生物活性を示さないかについてあたりをつけるものである。除草剤に使えるかもしれないという化合物が第2次スクリーニングにかけられると代表的な水田の雑草や小麦やとうもろこしなどの畑の作物と雑草について活性を見る。そこでイネ科雑草に効果があるものか広葉雑草に効果があるのかあるいは多年生雑草に効果があるのか、そして作物を枯らすかどうかなどについて調査され次の段階への化合物が選抜される。
       
             
      筆者らのラボは水田雑草について第3次スクリーニングから以後を担当した。いくつかの候補化合物を温室や野外の小規模試験プロットで引き続き選抜を行う。そのあたりからこれと思う化合物については、早い段階の毒性試験や環境試験をする。毒性試験や環境試験は販売認可のためには必須で5年以上の期間を要し、その費用だけで15億円から20億円の投資が必要である。毒性試験は、発がん性がないか、奇形を引き起こすことがないか、染色体異常を起こすことがないか、遺伝的な問題を起こさないか等々、また環境試験は野生動物への影響、土壌や植物での化合物代謝などの研究が要求される。これらは化合物だけではなく、製造時の副生成物質や不純物についても要求される。
      筆者は商品化までの責任を持ち、商品は筆者らの化合物と第三者の化合物の混合剤としたので、混合剤の開発と認可取得、さらに営業部門に先立つマーケティング戦略立案までが責任範囲であった。
      投資が大きい毒性試験や環境試験を整えるには最短でも5年から6年という期間が必要なので、小規模での性能試験の段階で事業化に向かう決断をしなければならない。化合物すべての特性を完全に把握しているわけでもない段階で数年後からの売上げ目標を立て、利益予想をしてマーケティング戦略を立案しなければならないのである。その際もっとも重要なことがその時点でわかっていることに対する、そして起こり得ることに対する技術評価なのである。
     
      複数のサルフォニルウレア系化合物の中から筆者らが本格的な開発活動のために選択した化合物は後に商標名がロンダックスと名づけた化合物であったが、これらの化合物はDr.ジョージ・レビットという合成化学者の独創的なアイディアによって作られた分子構造を持つものの一つで、それまでの除草剤に対して40分の1から100分の1の成分量で活性を示す化合物群であった。広葉雑草に生理活性は強いが稲によく似た雑草で水田の主要雑草であるノビエには弱い活性しか示さなかった。
      低い薬量で効果を示すことや世界で始めてという独創的な化合物の構造など学術的にすばらしい研究成果は、筆者らの事業開発の観点からはあまり意味をなさない。低い薬量は、環境負荷を低減するということで宣伝にはよいかもしれないが、仮に薬量が多くても、土壌、水、植物体内で代謝され残留量が少なければ事業上は問題がないのである。更に、製造においては原材料の使用量が少なくて済むから低コストになればいいが、必ずしもそうではなかった。しかし、生産プラントは小さくて済むという利点はあった。
     
      複数の候補化合物から一つを選ばなければならないが、それぞれ一長一短がある。選択基準は、市場に受け入れられると考えるさまざまな雑草に対する薬効のバランスと稲に対する薬害の程度の妥協点から選ぶものである。想定する価格については、当時使用されている製品に比べて例えば3倍とか5倍というような極端な差にならなければよいという程度の考えであった。価格は筆者らが開発する製品のすべての特性がわかって、その市場価値との関係で検討すべきものだからである。
      選択した開発製品は筆者らが(勝手に)想定する"市場で売れる製品の条件"を満たさなければならないのである。選択の決断は、その化合物に想定する条件を満たすポテンシャルがあると評価したからなのである。もちろんその条件が満たされるかどうかはその後に続く広範な試験の結果が出なければわからない。
      筆者らは、ロンダックスが実用化される除草剤市場において、少なくとも60%のマーケットシェアーを得るためには、以下のような条件が必要と考えた。
      1. 平均除草剤使用回数が2.3回であるのに対して1回減少できるか?
      2. 現在の除草剤で除草しにくいホタルイ、ヒルムシロ、クログワイなどの雑草に効果があるか?
      3. 砂譲土(粘土含量12.5%以上)以上の土壌で使え、使用可能水田面積が土壌条件によって縮小されないか?
      4. 魚毒性が強くないか?
     
      もちろん登録の認可を受けるために大前提となる作物を経由して人に摂取されることによる毒性の問題を明らかにする膨大な毒性試験や環境試験を科学的にクリアできるとしての話である。
      早い段階にメダカを用いて魚毒性が低そうだということをまず確認した。そして、当時田植え後1週間以内に処理する標準の除草剤に比べ、2週間後でも効果が良い可能性があったので、回数を1回減少することができるかも知れないと考えた。そして、除草しにくい雑草に対しても明確ではないが、ある程度効果があることを確認していた。
      粘土含量が極端に低い砂土では化合物が表層土壌に十分吸着されずに稲の根から吸収されて薬害が出るのが普通である。砂土で使用できなくともそこでの稲の栽培面積は少ないから事業上はあまり問題にはならない。しかし、砂譲土で使えないとすると、使用可能対象稲栽培面積が大きく減少するから大問題である。土壌条件については判然としなかったが多分大丈夫ではないか程度の知見しか得られていなかった。
      毒性試験の中で、ラットを用いて行うライフタイム試験は薬剤投与期間が2年、解剖と生理学的検査に約1年そして報告書作成に約1年かかるので4年間という長い期間が必要である。その前に適切な薬量を設定するための3ヶ月の毒性試験を行うので6ヶ月から1年が必要となる。当時は現在と違って開発期間も特許期間20年に含まれていた。雑草に対する薬効や稲に対する薬害についてすべてを分かった上で毒性試験に入れば、投資リスクは小さくなるが、当時認可申請から認可を得るのにも2年程度掛かったから、販売可能な時には既に特許の残存期間は10年以下、ひどいものでは7年ぐらいしかないということになってしまう。どうしても不確定要素を多く残したまま、毒性試験に突入し、全体の計画をスピードアップすることで、特許期間を長く保持しようとする。毒性試験と環境試験をすべて行うには15億円から20億円の費用が掛かるから、不確定要素の多い中での決断はスリル満点である。実際はヒヤヒヤものである。
     
      決断はその程度の知見によるものであり、不確定要素は多いが後はその条件を達成するような開発をやってやろうという悲壮な決意になる。もちろん毒性試験の結果、発がん性などの原因物質ということにでもなれば一貫の終わりである。
     
      医薬品や農薬に限らず、エレクトロニクスであろうが、分析機器などの開発であろうが、一度事業化を目指せば大きな開発費用が発生する。つまり、事業化できるかもしれない"あるレベルまで達成された研究開発成果"を基に事業化のための開発をする場合、開発者は必ず成果の厳密な技術評価をする。大企業では研究開発者が事業開発者である場合は稀である。筆者らのケースでは明らかに異なっている。事業開発者は、事業として成り立たせるためにはどのような開発プログラムが必要かを立案し、開発成果を積み重ねながらその累積成果を評価していく。評価の連続であるが、評価の視点はすべて事業化しようとする市場で獲得したい地位、つまり売上げやマーケットシェアーなどを想定し、成果がそれを達成するポテンシャルがあるかどうかの確認である。
       
      筆者が勤めていたデュポン社では、プロジェクトを継続するかの経営決断の一つの基準は、事業に係る累積投資額に対する期待純利益の累積額を現在価値に換算して投資効率を見るIRR(Internal Rate of Return)であったから、事業開発者としては不確定要素の多い開発初期の段階でその見通しを想定することが必要となった。
     
      昨年、竹中平蔵経済財政・金融大臣が銀行資産を現在価値で評価する基準を導入することを宣言して大騒ぎになったことを考えるとわが国では現在価値で考える経営手法が一般的ではないのかもしれない。確かに筆者がここ10年間以上様々な形で関与した大企業の新規事業推進に際してもROI(Return on Investment)やPay Back(投資回収期間)という話は出たが、いずれも現在価値を考慮しない手法ではある。企業それぞれの考え方であるから、どっちが良いということはできないが、現在価値でみる評価は資金調達コスト(利率プラスα)分を複利計算されるから、よほど大きなリターンが期待されなければプロジェクトが推進できないことになる。事業開発者は、いかに早く事業を立ち上げて純利益の累積額を大きくするかというプレッシャーに曝されている。
     
      事業開発者であれば、どんな製品であろうともまたどんな産業にいようとも、筆者と似たような行動をとるはずである。
     
     

第1項おわり

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